■国分寺今・昔

…昭和47年頃の光町周辺…
昭和47年頃の南口
写真−昭和47年頃の光町周辺の航空写真 写真提供:財団法人 鉄道総合技術研究所
昭和2年の現椙田商店周辺
写真−昭和2年の現椙田商店周辺
写真提供: 鈴木了延氏

現在の光町周辺
写真−現在の光町周辺


 光町は以前は平兵衛新田とよばれ、亨保十二年(一七二七年)頃に開発された新田です。昭和八年頃の平兵衛新田は、国立駅より東約二〇〇mの所にレンガ積みのトンネル形のガードがあり、その西約五〇mの位置に今日のガードができました。ガード下の道を北に向かうと稲荷神社に通じておりました。この道路の西側には田用水の小川(平兵衛新田分水)が流れ、現在の一丁目三三番地より二本に分かれておりました。小川は捨馬坂の下で池になっており、時にはカモやキジも来ていました。いまのJR情報システムの南側には田んぼがあり稲が作られており、初夏にはホタルが多数飛びかっていました。
 昭和十年頃、箱根土地会社により区画整理が行われ今の光町の形態ができました。写真の建物は現在の光商店会の椙田商店の東側あたりにあった案内所です。今日の商店街は昭和三十年代にでき始めております。

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