■国分寺の伝説
…恋ヶ窪伝説…
畠山重忠は、武蔵国の総検校職重能の子として生まれ、当初は平家方として後に源氏方として数々の武勲をあげた名将であった。妻は北条時政の娘で、そのことにより源氏での地位を確保していった。
府中や国分寺を往来するうちに遊女の夙妻太夫と恋に落ちてゆく。そして出陣。半年も過ぎたある日、関東武者の一人が太夫に重忠の死を知らせに来た。
ショックを受けた太夫は「姿見の池」に入水自殺をしてしまう。忍ぶ恋のわびしさというか、その後そんな事を知らずに戻った重忠やその事を知った村人達の手によって、塚を作りその上に一本の松を植えた。
これが「傾成の松」であり、一葉松であった。
東福寺にはこんな石碑が残っている。
もろともに移りし昔を偲ばなむ
一葉松生ふこひがくぼかも
そしていつからか、この地域が恋ヶ窪という地名で呼ばれるようになったとも云われている。
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