■国分寺の自然

…国分寺市の環境保全(2)… 国分寺市内から消えた水田風景
昭和38年西恋ヶ窪1丁目の田植え  国分寺市の水田は日立中央研究所南側を通過する中央線の土手下、現在の泉町1丁目から東元町3、2、1丁目にかけての野川流域と、西恋ヶ窪1丁目付近で営まれていた(他に平兵衛新田の一部)が、昭和30年代後半からの宅地造成によって次々と姿を消して行った。水田の消滅はその周辺に生息している多様な動植物の急激な減少を意味している。いわゆる里山的な質の高い自然環境は、この時点で国分寺市内より無くなったと言うことができる。
 40年代より水田の上に造成された宅地は大雨ごとに野川の氾濫に悩まされ、床下、床上浸水が幾度もくり返された。市内ではこの他、南町、本町、恋ヶ窪、光町などでも出水が見られている。
 この様な洪水による被害が無くなったのは、前市長によって進められた下水道工事の成果によるものである。国分寺市の下水道は毎時50mmの降雨量に対応でき、人口14万人までの処理能力を有している。

写真上−昭和38年西恋ヶ窪1丁目の田植え 写真提供−国分寺市市史編さん室


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