■インタビュー
…国分寺の落語家 古今亭右朝(ここんてい うちょう)…

【プロフィール】 国分寺第三小学校、第二中学校、都立武蔵高校を経て、1971年日本大学芸術学部卒業、1975年古今亭志ん朝に入門、1977年芸名「古今亭志ん八」で前座、1980年志ん八のまま二つ目昇進、1988年8人抜きの抜擢により真打ち昇進、昭和時代最後の真打ち「古今亭右朝」となる。第14回NHK新人落語コンクール最優秀賞、1991年国立劇場「花形演芸会」金賞&大賞受賞。

「共生・参加・創造」の精神がまちをつくる
 古今亭右朝さん。ブラウン管でこのお顔を見かけ、「あれ? どこかで会ったゾ」と思った方、無理もない。国分寺生まれ、国分寺育ち、国分寺在住の落語家。地元民としては、落語を聞く前からすでに贔屓になりそうである。
「うちの親父は、落語はもちろん、小唄や踊りなどが大好きだったんです。その影響で、小学生の頃から人前で落語を始めていました」
 じつは、末っ子の右朝さん以外は、ご両親も祖父母も四人の兄姉も、みんな浅草生まれの江戸っ子一家。古き良き江戸文化が家庭の中に溢れていたのだ。右朝さんがこの道を選んだのも当然のなりゆきだったのだろう。
「いや、ところが親父は落語は好きでも、息子が芸人になるのには反対で、結局弟子入りしたのは27歳のとき。『10年遅い』と言われながら、師匠にようやくお許しを得たんです」
落語家への道を諦め、寄席文字の書家として仕事を始めていた右朝さんが、転身を図ったきっかけは何だったのだろう?「新劇俳優の小沢昭一さんが、『もし自分が死ぬときに悔いが残るとしたら、落語家・小沢昭一として死ねなかったことだろう』と仰っているのを聞いて、僕もこのままでは悔いが残ると思いましてね」
 現在、上野・鈴木、新宿・末広亭、浅草ホール、国立演芸場の寄席を、10日間ずつ毎日勤める右朝さん。流行りの新作落語とは一線を画する江戸情緒豊かな古典落語に、根強いファンが増え続けている。最近では、「右朝ふるさと寄席」と銘打ち、茨城県や島根県で“落語で町おこし”を実践。「『やったしくじりは許される』と、弟子達にもいつも言っているんです。何か行動を起こして、結果それが失敗に終わったとしても、何も行動を起こさないより、ずっといい。落語にも町おこしにも、何事にも言えることではないでしょうか?」 行動派の右朝さんならばこそ、説得力のある言葉である。





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