■国分寺の四季/各地の国分寺風景2

【陸奥国分寺】
… 陸奥国分寺… 陸奥国分寺/薬師堂
写真−陸奥国分寺/薬師堂

国指定史跡 陸奥国分寺跡
 陸奥国分寺は古代陸奥国に建てられたもので、創建時の瓦から推定して天平十三年から天平神護三年(七六七)に至る頃と考えられている。陸奥国はその名が示すように「道の奥の国」で奈良から東に伸びる東山道の終着駅に当たる要地であり、古代東山道は国分寺跡の当方に沿って陸奥国を直轄する国府多賀城へ通じていた。
 その伽藍は一辺約ニ四〇メートル(八〇〇天平尺)四方の寺地を区画して南向きに建てられたものと考えられ、寺地の南北中軸線上に南大門、中門、金堂、講堂、僧坊が一直線に並んでいる。
 また金堂、中門を廻廊で結び、金堂、講堂間の東西に鐘楼、経楼を、金堂の東側には七重塔を置き、塔にも廻廊をめぐらしている。塔の廻廊は柱が二列の単廊であるが、金堂、中門を結ぶ廻廊は三列の複廊であった。伽藍配置等をこのように明確に知ることのできる国分寺跡は全国的にも珍しく、大変貴重である。  

陸奥国分寺仁王門 陸奥国分寺の七重塔跡
写真左−陸奥国分寺仁王門  写真右−陸奥国分寺の七重塔跡

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