ペンシルロケットの話 田中建設/ 故 田中久男さん


国分寺まつりに出品されたペンシルロケットの拡大模型
 私がペンシルロケットのことを知ったのは、国分寺第一中学校1年の時でした。 同級生の笹原真文さんからペンシルロケットの発射実験が国分寺市の本町廃工場跡地で行われたことを教えてもらいました。 彼は、宇宙に関することが飯よりも大好きな人でしたので、普段話すことが地球と宇宙に関することが主でした。その彼は宇宙開発事業団に入り、日本の宇宙開発に参画し、種子島のロケット発射台等を担当、少年の頃の夢を実現させました。現在は筑波宇宙センターの施設設備室の室長で頑張っています。
 昨年、商工会理事の由井さんとペンシルロケットの模型を作ることになりました。笹原さんの紹介で宇宙科学研究所の的川先生にお会いして、国分寺ペンシルロケットに関することを教えて頂きました。
 昭和30年4月に糸川英夫教授率いる東大生産技術研究所の研究班が国分寺市本町(現早稲田実業)でペンシルロケットの水平発射を行って得たデーターが日本の宇宙開発の土台を築くと共に、世界のロケット科学者に科学的な真理(ロケット関数を確定)を示し、日本の真の科学者の存在をアピールしました。その後のラムダ、ミューによって打ち上げられた日本の科学衛星は、日本の宇宙科学を世界的なレベルに押し上げる原動力となったということを事を伺いました。世界に誇れる日本の宇宙開発の発祥の地が国分寺であったことをより多くの市民の方に知って頂く為に、実物模型では小さいので同時に拡大模型を製作しました。
 次世代の真の科学者がこの地国分寺市から育つことを願っています。

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