■国分寺今・昔

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昭和36年頃の本多すずらん商店会
昭和40年頃の22番街商店会と現在の商店会

昭和40年頃の22番街商店会と現在の商店会  この地は昔、戸倉新田、榎戸新田、内藤新田の地名で総称して西ノ原と呼ばれていました。この地名をとって西ノ原商店会の名称で発足しました。その後現在ではこの周辺は富士本、日吉町と町名変更されています。数年後、商店会の名称を市役所通り商店会とした時もありましたが、メインストリートの都道の名称を取り入れて現在の22番街商店会に改名されました。
 商店会組織率は当時親睦団体的な組織から現在では95%以上を誇っています。昭和39年10月に東京オリンピックが開催された時、各地から聖火が東京目指して運ばれました。そのコースの一つにこちらの商店会が選ばれ、この道を地元の青年が聖火を高々と揚げて走り抜けた事もありました。 現在では、道を挟んで両側に駐車場を設置し、街路灯はもちろんの事、街路樹に花水木の街路樹を植えてあります。地域のお客様に対して七夕飾り、中元・歳末売出し、盆踊り大会、年末のイルミネーション飾り、お花のプレゼントなどを実施しています。
左上写真: 現在の日吉町交差点より国立方面を望む。

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