特別企画
なりたい自分をイメージすること
東京武蔵野美術学院 代表 山内英雄さん
国分寺駅近く、線路の北側にある「東京武蔵野美術学院」。美大を目指す学生のための予備校である。ここの学院の代表で、創設者でもあるのが、この人、山内英雄さん。
青森県浪岡町生まれ。弘前高校を卒業すると同時に、画家を志して上京した。両親の反対を押し切ってのことだった。美大の受験は、一般の大学とはまた別の難しさがある。何浪もする学生はざらである。山内さんもまた浪人生活を送ることになった。「上京当時持ってきたのはわずか5000円。新聞配達や牛乳配達をして、アルバイトをしながらの浪人生活でした」
故郷からの仕送りは受け取らなかった。背水の陣で臨んで五浪後、武蔵野美術大学に入学。“津軽のじょっぱり”が支えてくれたのだと、山内さんは笑う。
大学の友人とともに「武蔵野美術学院」を開校したのは大学院卒業後。1976年、30歳のときだ。賃貸ビルの保証金を銀行に借りてのスタートだった。「浪人した経験が大いに活かせました(笑)。いい絵は誰にでも描ける。本人の熱意と、それを引き出してくれる人がいれば描けるんです。そうして生徒たちが成長していく過程を見るのが好きなんです」
講師3名、生徒16名で、ビルの1フロアに始まった学院は、順調に生徒数を伸ばし、毎年1フロアずつ教室を増やしていった。86年にはついに自社ビルを建設。現在は講師47名、生徒350名の学院となった。「なりたい自分をしっかりイメージし、それに向かって邁進できているか…絵を描くにも仕事にも、それが大切なことだと思います」。山内さんと話していると、こちらまで元気な気持ちになれるから不思議だ。「人と接しながら何かを作っていくのが好き」だと山内さんは言われる。予備校を設立すること、生徒に絵を教えること、自ら水彩画を描いて個展を開くこと…すべて人とのつながりを大切にしてきた山内さんだからこそ、成功してきたことに違いない。
写真−東京武蔵野美術学院 代表 山内英雄さん
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