■インタビュー
…サッカー国際主審/岡田正義(おかだ・まさよし)…

【プロフィール】  1958年5月24日、西東京市生まれ、国分寺市在住。保谷中から本格的にサッカーを始め、久留米高、東洋大でプレーヤー経験を持つ。77年に19歳で4級審判員資格、86年に1級審判員資格を取得。92年国際線審となり、翌93年に国際主審に登録。98年ワールドカップ・フランス大会では日本人として2人目の主審を務めた。現在はスペシャルレフェリーとしてJリーグ等の笛を吹いている。著書に『ジャッジをくだす瞬間』講談社刊。

 岡田正義さん、45歳。サッカーファンなら誰もが知っている、日本を代表する国際主審。日本に4人しかいないスペシャルレフェリー(プロ審判)である。小学生のときからサッカー少年だった岡田さんが、レフェリーになろうと思ったのは19歳のとき。「子どもの頃、審判はジャンケンで負けた人がなった(笑)。でも私はレフェリーとしてワールドカップに出たい、と思ったんです」 就職も審判のできる環境を考えて選び夢に邁進。28歳で難関の1級審判に、34歳でさらに厳しい審査を経て国際審判員となった。そして98年、40歳のとき、ついに夢が叶う。ワールドカップ・フランス大会でイングランド対チュニジア戦の主審を務めたのだ。
 「これまで112の国際試合を含めて約1300の試合で審判をしてきましたが、一番印象に残った一戦です。5万5000人の大観衆の中、気持ちよいジャッジができました。負けたチュニジアの選手が試合の後に握手を求めてきました。これは『公正でいいレフェリーをしてくれた』という一つのメッセージ。
 あれは嬉しかったです」 たとえばJリーグではひと試合にボールは50km動き、主審は12km走るという。一番動くミッドフィールダーの選手でさえ走る距離は10〜11kmだから、レフェリーにどれほどの体力が必要とされるか想像できる。
 また、レフェリーは試合を客観視しながら、常に的確な判断を下さなければならない。目立たない存在でありながら、絶対的であることが求められる。体力だけではない、何事にも動じない精神力も必要なのだ。
 『自分に幸運を呼び込むためには、目標を持ち続けること』と岡田さんは言う。「私がレフェリーを目指した頃は、まさかJリーグが誕生するとは思わなかったし、ましてや日本にプロの審判員が生まれ、自分がそれになれるとも思っていませんでした。目標に向かって歩き続けていれば、きっと自分では予想もしないことが起こってくるんですね。次の目標ですか? イングランドの由緒あるスタジアム、念願のウェンブリー競技場に立つことです」陽に焼けた笑顔で岡田さんは力強くそう言った。


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