黒金山祥応寺の開創は享保十一年(一七二六年)。
開山は江戸深川海福寺第六世恢門和尚。開基は国分寺村名主本多儀衛右門である。
徳川八代将軍吉宗の新田開発奨励政策をうけて儀衛右門が本多新田の開発を行った際、開拓農民の菩提寺として国分寺村黒鐘にあった祥應寺(武蔵国分寺尼寺跡北方の台地付近)を此の地に引き寺したものである。その際2本のこの手柏が黒鐘より移植されたと伝えられている。いつの頃か1本が枯れ、残る1本が現存するものである。枯れた方の木は後に根株が掘り出され昭和七年、地蔵尊に彫刻されて昭和八年にお寺に奉納され開運地蔵として境内に安置されている。奉納者は北多摩郡国分寺村大字国分寺野口正平氏で、この開運地蔵は、奉られてから今年で七十年になる。
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