■インタビュー
…アニメクリエーター/石川光久(いしかわ みつひさ)…

【プロフィール】  1958年東京生まれ。大学卒業後、竜の子プロへ入社。「未来警察ウラシマン」などを手がけ、86年に退社。翌年、プロダクションI.G.(当時はアイジータツノコ)設立。03年、アントレブレナー(起業家)・オブ・ザ・イヤーの日本代表に選出される。

 今や日本のアニメは世界に誇るカルチャーの一つとなっている。だが、その制作はといえば、今でもほとんど小さな会社が下請けしているのが実情。そんな中でたった5人で始めたアニメ制作会社を下請け態勢から脱却させて、総勢200名ものクリエーター集団にした人がいる。(株)プロダクション・アイジーの石川光久さんである。
 自社制作の近未来SF「攻殻機動隊」は全米ビデオチャート1位に輝いた。映画「マトリックス」の監督があちこちのメディアで「影響を受けた」と言っている秀作である。「アニメ制作といっても、受発注の仕組みは工場の請け負いと同じです。発注元から一定の予算で頼まれて、納期までにそれを作る。でもその工程の中で中間マージンをなくしていったんです。クライアントが海外でもうちはダイレクトに交渉する」
 それまで発注元に所属していた作品の著作権の一部を手に入れたのも制作会社としては前代未聞だった。どれも積み上げてきた実績のなせる技だ。 「モノを作る仕事だから、『まずスタッフありき』だと思われがちですが、そうではない。『まず仕事ありき』だと思っています。良いスタッフが揃っていても仕事が無ければ宝の持ち腐れ。でも良い仕事があれば、自然と人はやる気になり、良いスタッフも集まってきます」
 国分寺に本社を構えている、その職場環境も重要なエッセンスだと石川さんは言う。「国分寺には都会でも田舎でもない土地の匂いと温もりがあります。人は心で動くものだから、人が住むのに優しい街で仕事ができるのは素晴らしいことです」
 「いつも『今』が一番辛くて、一番楽しい」と石川さんは言う。「『今』を最大限がんばって、相手に喜んでもらえる仕事をしているか。そう言う人を日本という社会は認めてくれると思います。現状に愚痴を言っているだけでは十年経っても何も進歩はない」
 03年、アントレブレナー(起業家)・オブ・ザ・イヤーの日本代表に選ばれた。この人ならではの説得力のある言葉だ。


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