■地下レーダー探査がきっかけで、
現塔跡の西54mに創建塔跡?を発見!
ー本年7月から本格的に発掘中ですー

写真−発掘の当時の様子

  天平13(741)年に聖武天皇が発した国分寺建立の詔には、国分寺には七重塔1基を置き、天皇勅願の紫紙金字金光明最勝王経を安置せよとされたが、国によっては五重のところもありました。 国の正史である『続日本後記』に承和2(835)年に武蔵国分寺の七層塔が神火(雷火か)のため焼失し、10年後に男衾郡(埼玉県比企郡付近)の前長官の壬生吉志福正という地方豪族が再興を願い出て許されたという記事があって、武蔵の塔が七重であることと、焼失・再建されたことを伝えています。

これまでの発掘調査で、現在心礎が残る塔跡周囲でおびただしい焼瓦が出土したり、創建期の瓦類が再建にあたり修復された基壇の中に入っていることなどから同じ位置での再建とされていたのです。(国分寺市教育員会ふるさと文化財課)

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