■国分寺今・昔

…昭和35年頃の東栄会商店会…
昭和35年頃の東栄会商店会
昭和35年頃の東栄会商店会 写真提供 田中丈夫氏

 国分寺駅北口前十字路を西友に曲った先、約250mを大学通りと呼びます。その昔この道を馬車が通っていました。昭和24年商店会(東栄会)が発足した当時南口がなかった為、東京経済大学(旧大倉経済専門学校)の学生達が通学路としていたので、大学通り(通称名)と名付けられました。国分寺で一番古い商店会です。  (写真左:現在の東栄会商店会)
 この写真の昭和35年〜37年頃は、名画座、恵比須湯、牛乳屋、米屋、八百屋、肉屋、魚屋、写真屋、セトモノ屋、喫茶店、菓子屋また地元で有名な学生食堂等、色々な店が並んでいました。

 この通りの東側に色々なエピソードを持つ小さな地蔵様が有り、北向きに建つめずらしい地蔵様と評判になりました。手を合わせお参りする人々も増え賽銭は福祉関係、交通遺児、災害地等に寄付され、商店会のシンボルになっています。
68年長崎屋(現ゲームセンター)、西友ストアーが出店以来様変わりしていき、現在は若者向けファーストフード、居酒屋、美容室、不動産等の店が多くなり、昔のイメージとはだいぶ変わって来ています。01年には早稲田実業が開校され、朝夕は学生達でごった返しています。(記事:2005.3.3)


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