文化的貢献の志を継承  東京経済大学


	写真−東京経済大学の構内にある新次郎池

 東京へ向かうJR中央線に乗って国分寺駅を過ぎるとすぐ、右手に大学が見えます。電車の窓の外の風景としておなじみの大学、東京経済大学は約7000名の学生が学ぶ国分寺市唯一の大学です。経済学部、経営学部、現代法学部、コミュニケーション学部の4学部に加え、他に例を見ないユニークな全学部横断的プログラムの「21世紀教養プログラム」と、経済学研究科、経営学研究科、コミュニケーション学研究科、現代法学研究科の大学院の4研究科があり、「Forward Forever(進一層)」という理念のもと、学生たちは勉学にサークルに、この国分寺で様々な経験を積み重ねながら毎日を過ごしています。大学の敷地内には東京都が選ぶ「東京の名湧水57選」に選定されている「新次郎池」があり、カルガモの親子が遊びに来るほど豊かな自然に囲まれています。
 創立は1900年。当時の赤坂葵町(現在の東京・虎ノ門「ホテル・オークラ」隣接地)に東京経済大学の前身となる大倉商業学校ができ、その後、大倉高等商業学校、大倉経済専門学校を経て東京経済大学へと発展、1946年に国分寺市へ移転して来ました。創設者は大倉喜八郎という明治・大正期の実業家で、大成建設・サッポロビール・帝国ホテル・帝国劇場・日清製油・あいおい損害保険・リーガルコーポレーション・日本無線・本渓鋼鉄公司(中国)などを創りました。実業界だけではなく教育の面においても、関西大倉学園・善隣インターネット高等学校(韓国)が彼の寄付によって設立・運営されました。文化面では彼のコレクションによって日本初の私立美術館(大倉集古館)が開かれ、スポーツ面では札幌のジャンプ台、大倉シャンツェが彼の遺産で建設されました。
 現在の東京経済大学ではこのような文化的貢献の志を継承し、大倉喜八郎記念東京経済大学学術芸術振興会を設立。著名な学者や芸術家、活躍が期待される新鋭芸術家を招いて講演会、シンポジウム、コンサート、展覧会等を実施し、広く一般に公開しています。また生涯学習の機会として市民大学講座やサテライトカレッジを開き、地域との交流を深めてきました。そして昨年10月、東京経済大学・国分寺市・国分寺商工会の三者が中心となり、国分寺地域の企業・諸団体と共に「東京経済大学・国分寺地域連携推進協議会」を組織し、国分寺市の経済の活性化と更なる発展を目指して、新たな一歩を踏み出しました。 東京経済大学は、学生のために、社会のために、そして地元国分寺地域のために、今後も「進一層」を続けていきたいと考えております。  


CHS HomePage Communication Handle Service Corp./ Maintained by A.Shiono
Since 3/Mar./2005- Last Modefied 1st/Jul./2023