■国分寺今・昔

…昭和56(1981)年頃の逓信住宅の商店…
取り壊し前に撮影された逓信住宅の入口の右手にあったお菓子屋
取り壊し前に撮影された逓信住宅の入口の右手にあったお菓子屋

 ナスヤ!八百屋でもないのに、この屋号は子供心に野菜のなすを連想し、不思議で仕方なかった。子供の頃十円玉を握りしめ毎日のように通ったものだ。ふがし・アメ玉・すこんぶ等こんなに小さな店なのに欲しいものは何でもそろっていた(?)まるで魔法の店のようだった。この店の右手奥が確か肉屋だったと思う。1個五円の当時では珍しいカレー味のコロッケが大人気で、夕方になると行列が出来ていたものだ。

逓信住宅にあった銭湯。  寒風の中、ホッペタを真っ赤にして、泥だらけの手でアツアツのコロッケを食べながら帰ったのを覚えている。これがまた、実にうまかった。このうまさは今では絶対に味わえないような気がする。
 逓信住宅は、昭和二十二年頃に旧郵政相の宿舎として、この地北多摩郡国分寺町国分寺二五一五番地付近に二百軒ほど建てられたもので、写真のお菓子屋と銭湯は住宅の中央道路沿いにあった。現在は、都立武蔵国分寺公園の多喜窪通り南側エリアがこの住宅のあった場所になると思われる。

左上写真:逓信住宅にあった銭湯。当時住宅居住者は100円だった。

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