■国分寺の四季/各地の国分寺風景11

【安芸国分寺】 安芸国分寺
写真−安芸国分寺

 奈良時代、聖武天皇は当時政界の動揺や飢饉、伝染病がしきりに起こったので、これらを鎮めるため、天平13年(七四一)国分寺を国ごとに建てる事にした。
 安芸国では西条盆地の北側、ここ西条町吉行字伽藍に国分寺が建てられた。発掘調査によると、当時の寺の範囲は東西約198m(六百尺)、南北約128m(四二二尺)で、南から南門、中門、金堂、講堂を一直線にならべ西側に塔をおく、一般的な国分寺の伽藍(建物)配置であった。特に礎石をもつ塔跡石積みの基壇をもつ講堂跡は保存状態がよく、建物では複弁蓮華文と重圏文の軒丸瓦、均正唐草文の軒平瓦などが出土した。
 このように奈良時代創建時の遺構がよく残っており、伽藍配置がつかめることから国の史跡に指定されている。

安芸国分寺の礎石 安芸国分寺塔跡
写真−安芸国分寺の礎石と安芸国分寺塔跡

CHS HomePage
Communication Handle Service Corp./ Maintained by A.Shiono
Since 10/Oct./2005 - Last Modefied 1st/Jul./2023