■インタビュー
…東京経済大学前学長/富塚 文太郎さん…

【プロフィール】  1929年2月、東京都出身。52年、東京大学経済学部経済学科卒業。同年、産経新聞東京本社記者となる。国民経済研究協会研究員を経て、71年、東京経済大学教授。83年、国分寺市商工会商業活動調整協議会会長。88年、NHK関東甲信越地方放送審議会副委員長、92年、東京経済大学学長。95年、大規模小売店舗審議会・関東審議部会長。98年、学校法人東京経済大学理事長。2000年、東京経済大学学長退任、同大・名誉教授。05年、学校法人東京経済大学理事長退任。。

 富塚文太郎さんが国分寺で暮らし始めたのは1968年のこと。東京経済大学の助教授として、同大に勤め始めた時だった。
「新聞記者をしていたのですが、自分の研究に専念したくなった。それで記者をやめて(財)国民経済研究協会の研究員になり、その後、大学に勤めることになりました」 しかし富塚さんは研究者として大学にとじこもっていたわけでは決してなかった。積極的に地域と商業、地域と大学の結びつきを築いていく。
「商工会に講演会の講師として何度か招かれたことを機に、『国分寺市商工会商業活動調整協議会(商調協)』の会長を勤めました」この商調協が国分寺駅ビルの核となるマルイの出店についての合意を取りまとめた。
「当時は『大規模小売店舗法』があり、商調協が関係者の意見調整をして、出店の当否を決めなければならなかったのです。大型店舗の出店は消費者には歓迎されましたが、地元商業者とはなかなか折り合いがつかず、5年近い年月をかけて話し合いをまとめました」89年、ようやくマルイがオープン。小さな駅舎だった国分寺駅は、近代的な駅ビルへと変貌を遂げた。 「駅ビルの改装は南口側の発展にも寄与しました。しかし大きな課題は北口の再開発を早く実現し、北口側の道路交通網を整備して、安全に歩ける便利な商店街として発展させていかなければなりません」 東京経済大学学長を退任した富塚さんが10年以上続けている日課は散歩。市内にお気に入りのコースがいくつもあり、ときに自宅から3〜4キロほどある小金井公園や谷保天満宮にまで足をのばす。
「国分寺は新旧の顔をあわせもつ街。商業地、住宅地、史跡など、エリアごとに違うその魅力を、きちんとテーマを決めて活かしていく街づくりが大切です」


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