■国分寺の四季/各地の国分寺風景14 【常陸国分寺】


写真−常陸国分寺の本堂

国分寺は、金光明四天王護国之寺といい、金字光明最勝王経一部を安置した七重塔を設け、常住の僧二十名と、最勝王経一〇部を置いた。寺院の財政は、封戸五〇戸、水田一〇町によってまかなわれた。 常陸国分寺跡は、昭和五十二年の発掘調査により、現本堂西側に鐘楼基壇(鐘つき堂の基礎)が発見され、次いで、昭和五十六年から二次にわたる発掘調査では各伽藍(主要建造物)の基壇の規模が明らかにされた。特に金堂跡については、現在残されている基壇の約四倍の規模を持つことが明らかになり、大建造物を有する寺院であった。近年の研究では、今まで判明していなかった七重塔の位置が、寺域東側に推定されている。寺域は、東西約二七〇メートル、南北約二四〇メートルの規模を持っていた。

  常陸国分寺跡発掘調査で出土した遺物は、瓦が主体であるが、その中でも創建瓦(復弁十葉蓮華文軒丸瓦)は、平城京羅城門跡で発見された軒丸瓦と同系の紋様であることが注目される。これは、国分寺建立に際し、当時の政府が瓦工の派遣などを含む、技術指導をしたことを物語っている。

遠江国分寺石碑

写真−遠江国分寺金堂跡

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