■インタビュー
…丸山喜久二(まるやまきくじ)…

【プロフィール】 昭和20年、国分寺市生まれ。八王子・富士森高校卒業後、東京経済大学へ入学。高校時代からテニス部に所属するスポーツ青年で、19歳のとき、東京オリンピックの聖火ランナーになる。大学卒業後、ベビー服の営業などを経て、現在アクアリウム(水草など)の店、「piccolo terra 水草 meek」を経営。

聖火ランナーが見た国分寺の街
1964年、東京オリンピック大会……“アジアで初めて”の“造型と科学の”オリンピックは、東海道新幹線の開通や首都高速道路の建設など、総経費1兆800億円を投資した一大イベントだった。まさに日本経済の高度成長を象徴し、「史上空前の偉大な祭典」と評されるに値したオリンピックだったのだ。参加国はそれまでの最大の94カ国に上り、開会式の模様は人工衛星で初めて宇宙中継され、競技の計時・記録・報道の装置にも初めて電子機器が登場した。日本のみならず、世界がこのオリンピックに大きな期待と盛り上がりを見せていたことが想像できる。
 そんなオリンピックのプレイベントの華である聖火ランナーの国分寺市代表の一人が、この丸山喜久二さん。ランナーたちの先頭で聖火を持って、2キロの道を完走した。当時19歳、テニスに打ち込む大学生だった。「気軽に応募したら大役をいただいて、家族で大喜びしました。」 国分寺代表の男女ランナーたち12人が集まって、2カ月前から練習。全員の歩幅や歩調がなかなか合わず苦労した。「当日は小雨が降っていて、火が消えやしないかと、たいへん緊張したのを覚えています。」
 内気だった丸山さんらしく、うつむき加減で走っている写真が印象的だ。「現在の日吉町の交差点から22番街商店会のあたりを走ったのですが、周囲はまだほとんどが畑でね。あの頃に比べると、国分寺の風景も随分変わりました。」
 昨年、戸倉2丁目にアクアリウムの店「piccolo terra 水草 meek」を開店した丸山さん。「国分寺で育ちながら、25年間、仕事は都内でやっていたのです。そうやって外から国分寺を見つめ、50歳を過ぎて一層、国分寺に懐かしさと良さをしみじみと感じるようになりました。若い頃、国分寺で過ごす時間が少なかった分だけ、今は地元での時間を大切にしたいと思っています。」 国分寺を聖火が駆け抜けたあの頃を思い描きながら、私たちもまた国分寺生活をたっぷり楽しみたいものだ。
 丸山さんが経営するアクアリウム(水草)の店「piccolo terra水草meek」 おしゃれな店内には素敵な水草たちがたくさん展示してある。
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