■インタビュー
…武蔵国分寺住職/星野亮雅(ほしの りょうが)…

【プロフィール】  昭和9年2月生まれ。昭和31年大正大学卒業。同34年より国分寺住職代理、昭和62年国分寺住職を拝命。 昭和53年国分寺市文化団体連絡協議会会長に就任(11期 )22年間つとめ、現在名誉会長。その間国分寺市社会教育委員(10期)20年。平成2年4月国分寺市社会福祉協議会会長に就任し6期つとめる。現在東京都社会福祉協議会副会長。共同募金国分寺地区会長。東京都共同募金会副会長。

 星野亮雅さん。あの武蔵国分寺の住職さんだ。小学校4年生の頃からお父さんに付いて檀家を回り始めた。中学生の頃にはお供の人と一緒に一人でお経をあげに回っていたという。可愛らしい小坊主さんは、おそらくどこのお宅でも温かく迎えられたに違いない。とはいえ、お盆の時期に檀家を回るのは並大抵のことではない。早朝6時から夜10時頃まで、お茶も頂かず、昼食もとらずに一軒一軒お経をあげて回る。「西元町から東元町、本町、本多、内藤、小金井市の貫井あたりまで歩いて回りました。まさに修行でしたね」と当時を懐かしそうに振り返る笑顔。
武蔵国分寺はいわずとしれた国分寺市の「顔」である。天平13年(西暦741年)に聖武天皇の詔で創建された。全国に60余建てられた国分寺のなかでも、武蔵国分寺は最大規模であったと伝えられている。「国分寺はただのお寺ではなく、現在で言うところの総合大学であり、病院であり、文化施設、福祉施設的な役割を果たしていたようです。当時は天然痘が流行り、飢饉や地震も重なって、それらから人々の暮らしを守るための手立てとして建立されたのです」
武蔵の国は北は埼玉から東京都全域、南は横浜あたりまでを指したというから、われらが国分寺の役割がいかに大きかったか想像に難くない。「だからというわけではないのかもしれませんが、国分寺には心のゆとりのある人が多いように思えるのです」
12年もの間、社会福祉協議会の会長をやっておられ、現在名誉会長をしておられる星野さんの言葉だけに重みがある。「たとえば歳末助け合いの募金一つとっても、国分寺市は他市と比べて市民の皆さんがとても協力的なのです。仕事柄そう思うのかもしれませんが、やはり長い歴史をもつお寺の仏様の御心を、皆さんが大切にしておられるのではないかと考えてしまうのですよ」
宗教や宗派を越えて、信仰心の持っている力、土地の持っている力が、人々の心の優しさを育んでいくのではないか。星野さんの言葉にふとそんな思いを抱かされた。


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